東日本大震災から10年

震災当時に使っていたケータイ

東日本大震災から、今日で10年。

忘れてはなんちゃらとか、復興はまだ道なかばでなんちゃらとか、もう5,000回くらい聞いて疲れたので、別のことを考えることにした。

10年前のあの日、僕はケータイを3台持ち歩いていた。

ウィルコムのPHS、HONEYBEE4。

ソフトバンクのiPhone3GS。

ドコモのSH-01A。液晶画面が横に倒れて、ワンセグが見やすいあれだ。泉こなたも使っていたやつ。

久しぶりに手に取ると、iPhoneって、こんなに小さくて丸かったんだと思う。ストレージはたったの16GB。でも手によく馴染む。この頃は、まだスマホ向けのWebサイトなんてほとんどなくて、PC向けのサイトをiPhone向けに整形してくれるブラウザが流行っていた。

当時のOSバージョンは4.2。マルチタスキングとフォルダ分けができるようになったのが目玉だった。バチっと電源が落ちて再起動がかかることも多く、まだまだ高価なおもちゃ、未来を体験できるガジェットという感じだった。

一方、ドコモのSH-01Aは、ガラケーとして完成の域に達していた。おサイフケータイ、ワンセグ、十字キーの上で指を滑らせるとカーソルが自在に動くタッチクルーザー。でも基本料金が高くて、スタンダードなタイプMだと基本料金が7,000円くらいかかった(うち無料通話が4000円分)。いちばん安いタイプSSにして、ほぼ待ち受け専用にしていたはずだ。それでも、月4,000円はかかった。

発信用として活用していたのが、ウィルコムのPHSだ。発信先にかかわらず10分無料という「だれとでも定額」が全国展開し始めた頃で、新ウィルコム定額プランとだれとでも定額を組み合わせても、3,000円で済んだ。

震災の日は、通信回線の輻輳によってドコモもiPhoneも電話回線が繋がらなくなり、ドコモはワンセグ専用機、iPhoneはTwitter専用機となった。

通信回線がびくともしなかったのがウィルコムだ。ユーザー数が400万人台と他社よりも少なかったうえ、基地局が分散されていたからだという。地震発生直後から、ウィルコム同士の通話なら普通に繋がった。現在の妻の安否確認もすぐにとれ、ウィルコムはその後長い間、我が家になくてはならないインフラとなった。

エリアは狭いが通話料金が無料で、回線も空いているウィルコムは、ちょうど今で言う楽天モバイルのような存在だった。こののち、仕事の電話もウィルコムから発信するのが当たり前になっていき、やがてドコモとiPhoneの番号は廃止。現在名刺に載せている電話番号は、この時ウィルコムで使っていた070から始まる番号だ。

あれから10年。PHSはついに一般向けサービスを終了し、震災時には導入が始まったばかりだったLTEも、今ではひと世代前の技術になりつつある。僕のケータイはiPhone12proとなり、ワイモバイルと楽天モバイルの二つの番号が入っている。

今もしまた、あの時のような大災害に襲われたとしたら、電話はPHSのようにすぐつながるだろうか。5Gの時代まできたとはいえ、MVNO(格安スマホ)が昼休みになると劇遅になるのをみるにつけ、やはり通信が集中すると繋がらなくなるんじゃないかと心配だ。