7月20日、東京カルチャーカルチャーで「18年間ありがとう!『鉄子の旅』ラストイベント〜旅立ち」が行われた。
2001年の連載開始以来、3人の漫画家によって描かれてきた実録鉄道漫画「鉄子の旅」。僕がいま、鉄道ライターみたいな感じで仕事をしているのも、元を正せば「鉄子の旅」という作品のおかげだ。
最初のきっかけは、2007年6月、当時日之出出版「DVD VISION」の編集長を務めていた大学の同級生Sから、「鉄子の旅アニメ化記念銚子電鉄全駅下車ツアー」の同行取材を頼まれたことだった。
「かげりさん、鉄道得意だったよね」
当時の僕はほぼ韓国ライター。冬ソナやらチャングムやらの解説記事をたびたびDVD VISIONに書いていた。鉄道関係の仕事はほとんどしていなかったが、同級生だけに僕が鉄道旅が好きなことを知っていたのだ。
6月9日、集合場所の駐車場で横見さんに「本日取材させていただきます栗原です」と挨拶したところ、「クリハラカゲリって、種村さんの本に出てた人?」。今に至る横見さんとの付き合いは、この時から始まった。
当時、鉄子の旅ブームがピークだった横見さんはメディアに引っ張りだこだった。横見さんの肩書は「トラベルライター」。いろいろなメディアから執筆の依頼が来たのだが、横見さんは執筆が苦手、というか面倒臭い。そこで、そのうちのいくつかが僕にまわってきた。それまでは、師匠である種村直樹氏と似たようなことをしてもしょうがないと、鉄道関係は避けていた。だが、鉄子の旅をきっかけに、徐々に鉄道の仕事が増えていった。
鉄子ツアーから3週間後の6月30日には、秋葉原で偶然アニメ「鉄子の旅」のパブリシティ活動を行う豊岡真澄さんに遭遇。急遽キュアメイドカフェで初のインタビューを行った。「今どきの鉄道コンテンツって、面白そう」と思ったのはこの時だ。
その年の12月には、横見さんにトークイベントの写真撮影を頼まれた。メディアファクトリーから刊行された「すごい駅!」の出版記念イベントで、この時秘境駅探訪家の牛山隆信さん、そして当時メディアファクトリーの編集者だった江守敦史さんと知り合った。これがきっかけで、翌年写真集「秘境駅」シリーズを手がけることになり、さらに2年後、「新幹線の車窓から」を刊行することになる。
そんなわけで、「鉄子の旅」及び横見さんとの出会いは、僕の人生を大きく変えたのだ。
こちらは、2010年5月に会津で偶然「新・鉄子の旅」取材一行に出会った時の写真。この時のことは、「新・鉄子の旅」2巻14旅「初めての大失敗」に少し描かれている。
この時は、村井美樹さんがきっぷをなくして大騒ぎだった。ほあしさんが、ものすごく一生懸命メモを取っていたのを覚えている。
鉄子の旅ファミリーには、横見さんだけでなくイシカワさん、カミムラさん、江上さん、ほあしさん、村井さんといった皆さんにも大変お世話になった。まずは、18年お疲れ様でした。
でも、どうも今後もトークイベントはありそうな雰囲気だ。次の機会を、楽しみにしています。