ありがとう所沢キャンパス


22日、母校の日本大学芸術学部所沢校舎で開催された、「ありがとう所沢キャンパス〜18歳の君へ」に顔を出してきた。

日芸は、1989(平成元)年以来、1・2年は所沢校舎で、3・4年は江古田校舎で授業を行なってきた。それが来年度からは全学年江古田校舎に集約され、所沢校舎は閉鎖される。まさに、平成に始まり平成に終わるのだ。



僕が所沢校舎に通ったのは、主に1992年と1993年の2年間。約20年ぶりに訪れる所沢校舎はずいぶんくたびれていたが、僕の在学時代とほとんど変わっていなかった。

所沢校舎は、西武新宿線航空公園駅から約4km離れているため、航空公園駅〜所沢校舎間に特定バス(通称学バス)が運行されている。このバスも1月24日限りで廃止となる。

出かける時に思いついて、目に付いた在学時代の写真を持ってきた。これは、2年生だった1993年に同級生が作った「月下の碁師」という(かなりクダラナイ)映像作品の撮影風景。僕は主人公のライバル棋士の役。

こちらが、同じ場所の2018年。風景は変わらないが、樹木の成長ぶりがすごい。イエローラインも設置されたが、こちらはメンテされていないらしく、あちこちで剥がれていた。

在学中、僕らが主にいた校舎が、共同実習施設、通称アートセンターだ。放送学科、写真学科、映画学科、演劇学科の実習施設が集まった校舎で、映像志望だった僕は、主に二階のビデオ編集室にいた。

カラオケボックスのように編集室が並ぶ様子は25年前と変わっていないが、設置された機材はずいぶん変わった。僕の時代は、S-VHSやHi8を使ったダビング編集だったが、今はMacを使ったノンリニア編集が当たり前だ。

すっかり忘れていたが、ビデオ編集室の真下は、写真学科の実習棟で、写真学科卒業の村上悠太カメラマンは、ここで写真の基礎を学んだそうだ。


音響実習室のスタジオは、25年前のまま。もちろん今はノンリニア編集だが、懐かしいオープンリールも生きていた。僕が高校・大学生だった平成初期は、すでにMDが実用化されていたが、ここぞという時はオープンリールが現役で使われていた。


学食棟では懇親会が開催され、”のだちん”こと野田慶人教授と記念撮影。出世とは無縁な名物教授というイメージだったけど、なぜか?あれよあれよと偉くなり、昨年まで13年も学部長を務めた。

所沢校舎がなくなってしまうのは残念だけど、とにかく遠かったから、今の時代はしょうがないのかな。キャンパスに住み着いた猫たちの行方が心配だ。