1981年7月31日の部分日食

 今日は、日本では46年ぶりとなる皆既日食。日食といえば、僕が思い出すのは、1981(昭和56)年7月31日の部分日食だ。

 この日食、僕は中央本線を走行中の特急「あずさ」の車内から見た。

 当時、僕は小学4年生。この日、僕は長野県黒姫にいる祖母のところに、初めて1人で出かけた。いつものように、信越本線で行ったのではつまらない。中央本線の「あずさ」で松本まで行き、急行「赤倉」に乗り換えて黒姫まで行くことにした。

 新宿駅までは母親が送りに来て、黒姫駅へは祖母が迎えに来る。乗り換えとなる松本駅では、公衆電話から自宅に電話を入れる約束だ。

 新宿駅を発車すると、すぐに隣りの席のおじさんに話しかけられた。小学4年生、9歳の子どもが1人で特急に乗っているのだ。今から思えば、そりゃびっくりするだろう。周囲のお客さんもまきこんで、しばらく電車や学校のことなど、いろいろな話をした。

 八王子を出て、車掌長が検札に来た時だ。白い制服を来た車掌は、僕に言った。

「大月を過ぎたら、いちばん後ろの乗務員室にいらっしゃい」

 隣りのおじさんは、甲府で降りると言っていた。せっかく話が弾んでいたのに、お別れするのは残念だったが、鉄道ファンにとって神様のような存在である車掌長が、乗務員室においでと言っているのだ。行かないわけにはいかない。

 大月駅を過ぎて、しばらくした頃、僕は最後尾の乗務員室、つまり運転台のドアをノックした。

「やあ、いらっしゃい」

 車掌長は、そう言って僕を迎えてくれた。憧れの、特急電車の運転台。しかも今は営業運転中で、速度計などの計器類はめまぐるしく動いている。

「機械に絶対に手を触れないと約束してくれたら、今日はここにいてもいいよ」

 こうして、僕は特急「あずさ」の運転台にいることを許された。運転席は、さすがに機械を触ってしまいそうなので、隣りにあった運転助士用の補助席に座っていることにした。

「おじさんはお仕事をしてくるからね。機械に触っちゃ、ダメだよ。それだけは守ってね」

 そして、部分日食の時刻になった。

 183系特急電車の運転台のガラスは、傾斜しているので、空を見るのに大変都合がよい。僕は運転助士席で、用意していおいた黒い下敷きを取り出して頭上に見える太陽を見た。三日月状に、太陽が欠けていた。

「何をしているんだい? ほう、今日は日食か。おじさんに見せてくれるかな。おー、これはすごいな」

 結局、塩尻駅を発車するまで、ずっと運転席から風景を眺めていた。ずっと後になって聞いたところでは、新宿駅で、母親が車掌長に子どもが1人で乗るのでよろしくと、タバコを1カートン渡していたそうである。

 今では300%あり得ない、国鉄時代ならではの体験だった。

コメント

  1. OBA3 より:

    ほんとに今では1000%ありえませんよね…
    昔はこんなだったんですね…今とは大違いです-w-
    それに加えて部分日食の日だったとは…
    なんだかこのお話見ていて心がすごく温かくなりました・w・

  2. かんりにん より:

    国鉄時代は、車掌のおじさんに親切にしてもらうということは、けっこうあったように思いますね。
    規律という面では、いろいろと問題のある時代でしたが。
    時々、懐かしくなります。あの車掌さん、きっともう70くらいだと思うけど、今どうしていらっしゃるのでしょうか。
    あと、車掌に贈るのがタバコ1カートンというのも、時代ですねえ。

  3. ゆ~たん より:

    まぁ無理だとは思いますが、今でも韓国なら10%位は同じことがありえそうですね。
    そんな韓国のおおらかさが好きです。

  4. COMPUS より:

    こんばんは、大変お久しぶりです。チャントッテの記事以来でしょうか。いつもROMさせていただいております。
    ワタクシも過去いろいろ経験しました。昔撮影でよく行っていた深名線では、馴染みの運転士や車掌だったら深川からずっと自分の席は運転台の助手席でしたし、ラッセル車の雪はねがない時(保線要員が添乗していないとき)にもラッセル車に乗せてもらったり、とても貴重な経験でした。私の場合はJRで深名線末期の出来事でした^^;
    小学校の頃、夏休みと冬休みは札幌に行っていたのですが、真新しい地下鉄東豊線を一日乗車券で乗り鉄していたら車掌が乗務員室に入れてくれ、その方が運転士に昇格してからもいつも乗せてもらっていました。東豊線が地下の非営業区間の連絡線を通って東西線は二十四軒近くにある車両基地までも乗せてもらい、今思えばすごい経験をしたもんです。
    昔は鉄道業界もギチギチではなくこういうおおらかなところがあったんですけどね、最近は駅員への暴力行為も増えていますし、人身事故も絶えない毎日、世知辛い世の中になったもんです。。。

  5. ゆ~たん より:

    そういえば、私も30年くらい前の小学生の頃、父に連れられて、1月2日に新幹線全線1日乗車券で東京-博多を1往復しているとき、山陽新幹線区間で後部の運転台に乗せていただいた思い出があります。
    ほんと、いい時代でしたよね。

  6. かんりにん より:

    亀レスすみません。
    ゆ~たんさん
     少し違うかもしれませんが、韓国・羅漢亭の三段スイッチバックを取材した時には、山上の興田駅へクルマで移動しようとしたところ、羅漢亭駅長から「もうすぐ貨物列車が来るから、それに乗ったらいいっぺ」と言われ、電気機関車の運転台に便乗したことがあります。この駅は、『鉄子の旅』でも通過扱いの「ムグンファ」を停めていましたね。
     それから、さすがに新幹線の運転台は、経験がないですねえ。
    COMPUSさん
     ありがとうございます。ハンドルを変えられましたか?
     昭和50年代くらいまでは、こうした話はけっこういろいろなところで聞いたように思います。「あずさ」以外にも、磐越東線の旧型客車列車などでも、似たような経験をしました。もちろん、安全運転のことを思えば今のような厳格な姿勢が必要なのでしょうが、ちょっと寂しい気もしますね。