武蔵五日市「石舟閣」跡

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正面の空き地が、「石舟閣」の跡

 じいちゃんの四十九日法要。父方の故郷であり、栗原家の墓地がある武蔵五日市に行ってきた。

 うちの家系は、かつて秋川の河畔で「石舟閣」という旅館を営んでいた。昭和2年創業の高級割烹旅館で、戦前は文人や官僚、軍部高官らが利用する、隠れ宿だったらしい。戦時中には東条英機などの政府高官・陸軍幹部がたびたび密議の場所として利用し、「夜の大本営」と言われたそうだ。

 子供の頃は、夏休みになると家族や親戚と来て、石舟閣前の河原で川遊びを楽しんだものである。じいちゃんは鮎の友釣りが趣味だったが、家族で来たときは手軽なウグイの脈釣りを楽しんでいた。

 長らく遠縁の親戚が経営していた「石舟閣」だったが、時代の流れとともにその役割を終え、五年ほど前に閉館した。日本庭園を配した趣ある建物は全て取り壊され、今はほとんど更地になっている。

 法要の前に、時間があったので石舟閣跡を訪れてみた。子供心には、城のように巨大で威厳ある建物に感じていたが、更地になったかつての敷地を歩くと、思いのほか狭く感じる。駐車場跡に残る看板がなければ、ここがその場所だったとはわからないかもしれない。

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 なんとなく、ピンと来ないまま更地を歩いていたが、河原が見えるところまで来ると、急に懐かしい気分に包まれた。

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左手の、釣り人の上にある岩場が、僕らの遊び場だった

 秋川の河原は、昔のままの姿だったからだ。

「あの左側の、3つの岩からよく飛び込んだよなあ」

 さっきまで完全に忘れていた、昔の記憶がよみがえる。あのあたりで、流されそうになったこともあったっけ。

 よく見れば、河原には、旅館が使っていた生け簀も残っていた。どこかの父子が、釣りを楽しんでいる。昔に比べると、格段に立派な釣り竿が印象的だった。

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河原に残る生け簀の跡(写真手前)

 武蔵五日市駅からの道もわかったし、これからは時々五日市線を訪れ、じいちゃんの墓参りと河原の散策を楽しむことにしよう。

コメント

  1. たま より:

    初めまして。バブル期のガイドブックで石舟閣さんのことを知りました。一度泊まってみたかったです。

    • ずっと気づかなくてすみません。
      泉麻人のエッセイにも書いていただき、五日市自体をずいぶんもったいながってくださいました。
      廃れてしまう時期がもう少し後であれば、状況が変わっていたかもしれません。
      街並み保存の機運が全国に広がる前に、みんななくなってしまいました。

  2. ぼくあずさ より:

    先のコメント上にメールアドレスを記入してしまいました、
    それで再投稿です。栗原家は五日市一の名門でしたね。

    • ぼくあずささん
      ありがとうございます。以前のブログの方に、詳細にコメントをくださいましたね。ありがとうございます。

      我が家はすでに名門からはほど遠いですが、曾祖父は先祖からの土地を五日市鉄道に提供し、それが現在の武蔵五日市駅になったと聞きました。ひ孫の私が鉄道関連の仕事をしているのですから、ふしぎな縁を感じます。
      すでに、五日市には親戚も少ないですが、墓地は健在です。こちらの駐車場の看板も、2021年現在もあります。
      今後ともよろしくお願いいたします。

      • 栗原 より:

        石舟閣最後の代の息子です。
        ブログで栗原家を綴っていただきありがとうございます。

        • 栗原景 より:

          栗原さん
          ありがとうございます。祖父は栗原平治といい、確か末っ子でした。戦前は伊勢丹社員、戦後は中野で紳士服店を営んでおりました。この記事は13年前のものですが、自分も50が近づき、こうした記録を漁ってみたくなりました。

          • 栗原 より:

            返信ありがとうございます。
            私の祖父は栗原忠治です。

            石舟閣 栗原が五日市一の名士とは知らなかったのでこちらで知れてよかったです。

            父からは栗原家のことを聞かされてないので是非色々と知りたいです。

          • 栗原景 より:

            栗原さん

            ありがとうございます。忠治さんといえば、私の祖父平治のすぐ上のお兄さんですね。ということは、私は栗原さんの再従兄弟ということになりますね。
            父に話したところ、「きっとてっちゃんの息子さんかな」と申しておりました。
            おそらくコメント欄のメールアドレスはダミーと思いますが、もしよろしければ、メールフォームから、ご連絡いただけませんか。
            今はコロナ禍ですが、状況落ち着きましたら、ぜひ五日市と栗原家、石舟閣のことについてお話を伺えればと思います。

          • 栗原 より:

            ご連絡ありがとうございます。
            母に平治さんのことを確認しましたら年に一回鮎のフライを楽しみにされてる方ではないかと伺いました。
            その時私はバイトをしてましたのでもしかしたら接客させていただきました。
            間違えましたら申し訳ございません。

            記載してるアドレスはわたしが普段使用してるのでそちらに連絡をいただければさいわいです。

            ブログに疎いものでしてどちらのメールフォームに送ればいいかわからないです。

          • 栗原 より:

            連絡ありがとうございます

            確認しました。
            是非ご連絡ください。
            メールフォームがどこか分からないので私しましたアドレスにご覧いただければ幸いです。
            よろしくお願いします

          • 栗原 景 より:

            栗原様

            ありがとうございます。鮎のフライを楽しみにしていた、それは恐らく祖父平治だと思います。釣りが趣味で、毎年石舟閣で祖父は鮎釣りをし、その隣で小学生の私は従兄弟たちと水遊びやウグイ釣りをしておりました。

            メールお送りしました。どうぞよろしくお願いいたします。

  3. ジャージ より:

    昔の雑誌で五日市駅付近にあった石舟閣のことを知り、ネット検索したところ、こちらのブログに辿り着きました。
    立派な建物で、まだ営業しているならば一度立ち寄ってみたかったです。
    タイから来られた女将さんが紹介されていましたが、まだご健在なのでしょうか?
    数々の著名人、有名人が宿泊された宿だったのですね。

    • 栗原景 より:

      ジャージさん
      こんにちは。コメントありがとうございます。
      この記事自体10年以上前のもので、残念なことに建物は現存しません。
      五日市は、交通が発展していなかった昭和30年代までは東京の奥座敷として宿泊客で賑わいましたが、宅地化が進み石舟閣を含めほとんどの宿泊施設が役割を終えました。
      もう少し時代の流れが変わっていれば、歴史ある五日市街道の宿場町として街並み保存がされていたことと思いますが、宅地が少し早かったようです。でも、昔ながらの河原も残っていて、散策するとなかなか楽しいですよ。