【再録】済州島に残る過去の記憶

※この記事は、2007年6月14日にスペースアルク「韓国まろん紀行」で発表したものです。
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済州島南西部、モスルポの海岸をレンタカーで走っていると、畑のあぜ道を中学生がちらほら歩いてくるのが見えた。

ははあ、ここか……。

車を空き地に止め、カメラを持って、中学生たちが来た方角へ歩き始める。地元の人を見かけた。おじさん、この先に、あれがあるんでしょう?

「そう。ずーっと行けば、いっぱいあるよ」

やっぱりそうか。やっと見つけた。この辺りにあるということは聞いていたのだが、目印になるものが何もないので、分からなかった。今日も、あの子たちを見なかったら、気づかなかっただろう。

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畑の向こうに山房山が霞み、春の微かな潮風が頬をなでる。すれ違うのは、農家の人ばかりだ。

そののどかさに、ちょっと不安を感じた頃、それは現れた。

畑の中の、低いドーム状のコンクリート。

見回せば、それはひとつではなかった。ふたつ、みっつ……、20基前後のコンクリート塊が、畑の中に放置されている。これは何か?

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実は、戦闘機の掩体壕(えんたいごう、航空機を空撃から守る格納庫)の跡である。

今から60年前、この場所には旧日本海軍の済州島航空基地、アルトゥル飛行場があったのだ。

済州島は、太平洋戦争の戦場となることはなかったが、本土決戦に向けて日本軍が数多くの軍事施設を建設したところだ。

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日本にも、旧軍の掩体壕が残っているところはあるが、これほどの数が残っている例はない。道路に面した壕に入ってみると、農家の物置として使われているようだ。壕にとっては「幸せ」だろう。

滑走路の跡も残っていると聞いたが、時間切れ。丘の向こうに、指揮所跡と思われる構造物を見つけたので、その向こうにあるのかもしれない。

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農夫のおじさんたちは、掩体壕をバックに、黙々と農作業を続けていた。

この周辺には、日本軍の地下壕や、特効艇の基地となった人工洞窟も残っている。済州島が、ただのリゾート地ではないことを肌で感じることができるはずだ。

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