予讃線伊予大洲-新谷間

朝の新谷駅

予算本線の伊予大洲-新谷間は、ずっとのどにひっかかっていた小骨のような区間だった。

1985年3月に、初めて伊予大洲を訪れた時は、まだ予讃本線の短絡ルートができておらず、国鉄内子線が五郎-内子間に延びていた。

1985年当時の予算本線&内子線

宇和島のユースホステルを出た僕は、伊予大洲で臥龍山荘などを見学した後、五郎-内子間を往復して向井原方面に向かった。

1986年、伊予大洲-内子-向井原間の短絡線が開業し、五郎から新谷駅の手前までの旧線は廃止となった。

短絡線完成後。五郎からの僅かな区間が廃止になっている

そこで、1992年に改めてこの区間を乗りに行ったのだが、当時の僕は国鉄JR全線完乗なんて、ほとんど考えていなかった。それよりも、中学時代の自分が乗った線路が廃止なったことの方が大きな出来事で、五郎-新谷間の廃線跡を歩いてみたのだ。


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↑現在の旧線・新線分岐点付近。五郎駅から廃線跡の道路がカーブを描きながら現在の線路に合流してくる

その時、撮影した写真がこれだ。

1992年7月に撮影した分岐点。右後方に、雑草に覆われた旧線の築堤が見える

たしか、この後いったん伊予大洲まで乗り、改めて反対方向の列車に乗って向ヶ原へ抜けたと思うのだが、これがはっきりしない。全線完乗にこだわっていなかったので、伊予大洲-新谷間に一度も乗らないまま、向井原へ抜けてしまった可能性も十分あった。

四国の他のJR線は、すべて乗ったことがある。蓋しかなのは、この一区間だけだった。

上の写真を発見した時は、これはキハ32の車内から撮ったもので、当時ちゃんと伊予大洲に戻っていたことを証明する写真だと喜んだのだが……

やはり、スッキリしないので、九州からの帰りに乗って来ることにした。

別府から八幡浜に渡った僕は、伊予大洲から新谷まで一駅だけ乗り、再び伊予大洲に引き返した。

懸案となっていた1駅に乗車し、めでたく四国の国鉄JR完乗となったのだが。

キハ32の車内から、上と同じアングルの写真を撮ってみた。

予讃線と旧内子線五郎方面の分岐点

……!

踏切があったのか。

2枚の写真を比べると、92年の写真は、明らかに視点が低い。これは、どうやらこの踏切から撮影した写真だったようだ。

やはり、今回わざわざ出かけて乗っておいてよかった。

今度こそ、スッキリした。