玉川上水に残る、鉄道橋の跡。
中央本線三鷹駅から、北に延びていた武蔵野競技場支線の跡だ。元々は、武蔵境駅から中島製作所への引き込み線跡を戦後再利用したもので、その跡地に開設された、武蔵野グリーンパーク球場へのアクセス路線として、昭和26年に旅客営業を開始した。この球場では、国鉄スワローズの主催試合が19試合行われ、東京駅からの直通電車も走っていたらしい。
しかし、当時の武蔵野市は、東京から遙か離れた地方の町という認識で集客に苦しみ、国鉄スワローズの主催試合はこの年1年限りで終了した。武蔵野競技場支線も、事実上の休止状態となり、昭和34年に正式に廃止されている。
この支線の跡は、70年代まで放置された後、三鷹市と武蔵野市によって遊歩道に整備された。市境にあたる玉川上水には、長年橋台が残り、歩道も、ここだけ盛り上がって鉄道があったことを伝えていた。
しかし、この地点に道路が建設されることになり、線路跡の位置にも、新たに歩道橋が設置されることになった。
すでに、橋台の半分は破壊されており、残りが撤去されるのも時間の問題である。
↑南側の橋台。西側半分が破壊されている
また1つ、近代鉄道遺跡が消えていく。残念だ。