ローカル列車で海軍基地へ?

g1027統海行き通勤列車

 朝 6時半。韓国南部の馬山駅から、統海行き2181列車に乗った。

 国鉄鎮海線は、慶尚南道の昌原と、海軍の町、鎮海市の統海を結ぶ全長21.2kmの盲腸線だ。旅客列車は、1日2往復しかない。これまでしょっちゅう旅客営業の廃止が噂されてきたが、幸いなことに今もほそぼそと営業を続けている。

g1025 この路線をごく一部で有名にしているのは、その運行本数もさることながら、末端の鎮海- 統海間の存在だ。終着の統海駅は、韓国海軍鎮海基地の構内にあり、一般人の立ち入りが許されていない。そのため、軍関係者以外は、 ひとつ手前の鎮海駅で降りなくてはならないのである。軍機に関わる?のか、時刻表にも、 この鎮海線だけは営業キロが表記されていない。

 いつか、韓国の鉄道を全線乗りたいと思っている僕としては、当然統海まで乗ってみたかった。といって、うっかり海軍基地に入ってしまい、「国籍不明の挙動不審者」としてタイホされるのも本意ではない。まあおそらく、非武装地帯の都羅山駅と同様、鎮海駅出発前に憲兵が乗り込んできて身分証明書のチェックをするだろうから、乗りたくても乗れないに違いない。とりあえず、行けるところまで行ってみよう。

 馬山を発車した列車は、本線である慶全線を一駅走り、昌原駅から鎮海線に入る。馬山駅では無人だった列車も、昌原、新昌原と進むうちに、意外なほど人が乗ってきた。軍服を着た人はおらず、皆普通の人ばかり。中には、 MP3を聞いている学生風の女の子までいる。おそらく、ほぼ全員鎮海で降りるのだろう。海軍基地乗り入れ列車としての性格は、すでに失われているということか。

g1029 7時11分、鎮海着。乗客たちは、ぞろぞろと立ち上が……らない。数人が降りただけで、 女の子も含めて皆当たり前のような顔で座っている。あれ?鎮海に着いたんじゃないの?次は、海軍基地じゃないの?  そう思っているうちに、列車は音もなく発車。「鎮海」と書かれた駅舎が目の前を通過する。やっぱり鎮海だ。ということは、 この人たちは全員?

 列車は、自転車くらいの速度で徐行し、ゆっくりカーブして平行していた大きな道路を横切った。憲兵が警備する門が後ろに見える。目の前に、「必勝海軍」の石碑……。ここは、もう海軍鎮海基地の中だ。

 通勤用らしい乗用車がびゅんびゅん追い越していく中、列車は5分ほどゆっくり走って停まった。ドアが開いても、乗客たちは悠然としたもので、そのうちぱらぱらと下車していった。外を見ると、「統海」と書かれた粗末な駅名票と、降りた乗客の身分証だか定期だかを改める憲兵がひとり。やっばい、ほんとに基地の中に来てしまった。

 降りた瞬間逮捕されるような気がしたので、そのまま座席で固まっていた。

「忠誠! あの、えと、どちらからいらっしゃいましたか」

 背後から声がした。振り返ると、先ほどの憲兵が立っている。尋問調ではなく、「まいったなあ」という、困惑した表情だ。

「あ、いえ、日本から来た旅行者ですが、どうも乗り間違えたみたいです」

 あくまで、知らずに間違えて来てしまったということにしながら、床に置いてあるカメラバッグを座席の下に足で押し込んだ。

「あ、そうですか、少々お待ちくださいますか」

 憲兵は、そういうとどこかに行ってしまった。よく見れば、憲兵にありがちな物々しさは全然なく、むしろケロロ軍曹とか好きそうな、天然系の青年だ。

「お客さん、降りないんですか?」

 反対側から声がした。車掌のようだ。なんだかやたらとニコニコしている。

「いや、よく知らずに乗ってきたんですけど、ここは軍の施設のようなので、降りてはいけないかと……」

「大丈夫でしょう。降りて、次の列車まで散歩してみてはどうですか」

 おいおい、あり得ないだろ。そこへ、憲兵が戻ってきた。車掌は、彼を見るなり話しかけた。

「ああ、きみ、こちらの方は旅行でいらしたそうだ。普通に歩く分には、構わないでしょう?」

 アニメファンっぽい憲兵は、ますます困惑した表情で答えた。

「あ、いえ、その、それは困るんですが……。ここは、海軍基地の中なので……」

「次の列車は何時ですか」

「次と言いましても、退勤時間に1本あるだけなんですが」

「ああ、そうなのか。じゃあしょうがないな。お客さん、残念ですが、この列車でもどるしかないようですね」

 車掌は、鎮海線のダイヤを把握していないらしい。憲兵が、今度は僕に話しかける。

「あの、申し訳ございませんが、やはり降りていただくわけにはいきません。車内でそのままお待ちいただけますか」

「わかりました。どうもすみません」

「それにしても韓国語がお(ry」

 一通りのやりとりが終わると、車掌も憲兵もどこかへ行ってしまい、折り返しまでの約30分間、僕は一人で車内に取り残された。周囲を写真に納めたいが、それは絶対に不可である。駅名票くらい、撮りたいなあ。携帯電話も通じないんだ。へー。……ケイタイか(以下略)。

g1026  7時45分、僕以外誰も乗っていない列車は、ゆっくりと反対方向に向けて動き出した。 美しい緑に包まれたひなびた駅だったが、駅を後にしてこれほどほっとした体験は初めてだった。

 なお、後で昌原から乗ったムグンファ号で、先ほどの車掌と再会した。聞くと、「鎮海線に乗ったのは初めて」だったそうである。