南原で会った老婆

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「ハクセン、ミアナジマン、 サンベグォンマン チョヨ」
学生さん、すまないけど、300ウォンだけちょうだいよ。
南原のバスターミナル前で、小柄な老婆に声をかけられた。、韓国には、こうした積極的な物乞いが多い。本職でなくても、アルバイト程度?に小銭をねだる人もいるようだ。
こういう輩は、かわいそうだけれど相手にしていたらキリがない。
「あー、うぇーぐぎん。いるぼーん」
外国人、ニッポンという単語を、いかにも下手っぽく連呼する。たいていは、ああ、ガイジンか、とそれっきりになる。
「ウェグギン… ああ、日本の方でしたか」
いきなり流ちょうな日本語が出た。
見たところ、70代か80代か。日本統治時代に青春時代を送ったのだろう。
「おばあさん、日本語よく覚えていらっしゃいますね」
「話すのは何年ぶりかねえ。女学校にいたころは、日本の先生にたくさん習いましたよ。ハラ先生、サイトウ先生、ヨーシダ先生…」
ぐっときた。女学校で、日本人教師に習ったと言うことは、当時としては裕福な、インテリ階級の家庭に育ったということだ。その人が、いまここ南原で、物乞いのまねをしている。その間には、どんな苦労があったのだろう。
「大変な時代でしたけど、懐かしいねえ。先生はみんなきびしいかったけど親切で…」
 日本が、韓国を支配した「日帝時代」。個々の庶民レベルでは、こうした懐かしむべき交流も行われていたことは間違いない。だからと言って、日本の植民地支配を正当視するのはおかしいが、当時の生活の記憶を実際に持っている人たちが、時と共に少しずつ減っていくのは残念だ。こうした世代の人たちが健在なうちに、もっとたくさん、話を聞きたい。
「それでねえ、日本の方」
 僕はうなずき、おばあさんの次の言葉に耳を傾けた。
「すまないんだけど、300W、ちょっとくれないかねえ。恥ずかしいねえ、日本の方に、こんなこと…」
 …僕が、500W渡したことは言うまでもない。

コメント

  1. たなか より:

    うーん。
    恐らく僕も同じようにしてしまうとは思うけど・・・・。
    ・・・・・全部計算かもなぁ、すべてお見通しのことかもなぁ、とも思ってしまうのは、私のココロが捻れているからでしょうか。

  2. かんりにん より:

    こんばんは。
    まあ、計算半分、本当に懐かしがっているの半分といったところでしょうね。
    1000Wあげてもいいかな?と思った僕は、お人よし。

  3. かずお より:

    私も4月30日、南原を訪れました。旧南原駅、65年前父の働いていた南原郵便局、そして広寒楼で父の撮った写真と同じ場所で写真を撮ってきました。バスターミナルの写真は私も同じ角度から撮っていました。でも暑かった。