島根県の一畑電車は、もともと一畑薬師へのアクセス鉄道として建設された鉄道だ。
その一畑薬師に隣接して、一畑電鉄(当時)が1970年代まで運営していた遊園地が、一畑パークだ。当時はテレビコマーシャルも放送され、山陰地方出身の人なら、そのCMソングは今でも記憶にあるらしい。
山陰地方初の本格遊園地として賑わった一畑パークだったが、レジャーの多様化と共に経営が行き詰まり、1979年に閉園した。
僕は山陰出身ではないので、一畑パークのことは知らなかったのだが、島根県立出雲歴史博物館の特別展「BATADEN 一畑電車百年ものがたり」で、かなり詳しく展示されており、興味を持った。
鉄道会社が、専用有料道路まで作って建設した遊園地。その跡は、今どうなっているのだろう。
タクシーの運転手に、「一畑パーク」跡地について尋ねると、まるでつい最近まで遊園地があったかのように、詳しく教えてくれた。
一畑大社を参拝し、教えられた通りに参道をたどって歩いて行くと……
一畑パークは、今も空き地となって放置されていた。
教えられた場所は、本当にここに遊園地があったのかと思うほど、小さな広場だった。実際には、ここと、もうひとつ丘の上の二カ所が敷地だったらしい。今は、わずかに遊具の基礎と朽ちたベンチが残るのみだ。資料を見ると、この基礎は「コーヒーカップ」の跡らしい。CM動画の24秒あたりで映る、くるくる回る遊具だ。
地元の人によれば、1979年の閉園後も、敷地はそのまま公園のような形で細々と使われていたそうだ。きっと、このベンチは最後まで残ったものなのだろう。
出雲薬師参道から。この右手に、一畑パークのシンボル「レストハウス」があった
上の写真とほぼ同アングルと思われる。高さだけ違うようだ
一畑パークは、寂しい廃墟となることもなく、静かに自然に還ろうとしていた。
※初出時、一畑薬師の名前を間違えていたので、訂正しました。
コメント
まさにうちの兄は、一畑パークで遊んでいた世代で、楽しそうな写真が残っていました。
閉園した79年だと私は3歳ですから、行きたくてもなかったのでしょうね…
いやぁ~懐かしい!
一畑バスのあの色も懐かしい!
こうしてみると、僕の周囲には山陰方面出身の方が多いですね。いいなあ、その写真、拝見したいです。