京元線電鉄化

 

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 15日に開業した、国鉄京元線電鉄化区間に乗ってきた。

 これまで、地下鉄1号線の起点は、ソウルの北郊外にある議政府北部駅だった。ここは戸籍上は国鉄京元線で、一駅南側の議政府駅から休戦ラインに近い新炭里までは、通勤型ディーゼルカーが1時間に1本走っていた。

 今回、議政府から、議政府北部を経て逍遥山までの電化複線高架工事が完了し、1号線の通勤電車が、逍遥山まで乗り入れを開始したというわけだ。これにともない、ディーゼルカーは逍遥山の一駅手前にある東豆川駅発着に変わった。

 地下鉄1号線を幹とする地下鉄・国電路線は、逍遥山からソウル市内を経て仁川、あるいは水原、天安までを結ぶ、きわめて長大な路線となった。

 僕が、京元線に乗ったのは、今から12年前。大学時代に、友人とはじめて韓国を訪れたときのことだ。当時の韓国国鉄には、旧型客車の各駅停車「ピドゥルギ」が健在だった。懐かしい雑型客車。3人がけという大ぶりのボックスシートで隣り合わせた老人に、流暢な日本語で話しかけられたものだ。

「このあたりは、昔は日本でしたからなあ」

 屈託なく言われた一言にどきりとし、つい、「昔日本が韓国にしたことは、申し訳なかったと思っています」と答えてしまった。まだ、ハングルさえ読めない大学生だった時代だ。

「何を言うんですか。若い人が、昔のことでそんなむやみに謝ってはいけません。もっと、これからのことを考えるべきです」

 韓国の人たちは、日本を憎んでいるとばかり思っていたので、この言葉には驚いた。思い出の中で美化されている部分があるのかもしれない。でも、この老人との出会いは、韓国に興味を持つ、最初のきっかけだったように思う。

 この会話は、議政府を発車してすぐの頃に交わしたように記憶している。ちょうど、今回電鉄化された区間を走っていた頃だ。おんぼろの雑型客車に乗ったその場所を、今は通勤電車で軽快に走り行く。僕が初めて韓国に来て、もう12年にもなるのだ。

 週末ということもあって、逍遥山や新炭里などにでかける行楽客で、電車はかなりにぎわっていた。いかにも近郊都市の通勤路線という趣になった東豆川、逍遥山を過ぎ、ディーゼルカーで新炭里まで乗りとおしてみる。新炭里に来るのも、12年ぶりだ。

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逍遥山駅に進入する新炭里行き。左は、逍遥山始発の仁川行き1号線電車

 ディーゼルカーも、いかにも軽い通勤タイプに変わったが、終着駅の風情はそのままだった。トンイルとピドゥルギの運賃の違いがわからず、揉めた窓口もそのままだ。雪の残る駅前をぶらぶらし、夕日を眺めてすごした。今日は、通勤電車に乗りに来たんじゃなかったっけ。

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新炭里駅に沈む夕日

pcの調子が悪く、フリーズしそうなので、いったんこの辺で。

コメント

  1. 筋鉄I より:

    先月末に新炭里まで乗った時点で、電車ももうじきかな、とは思っていたのですが、もう開業したのですか!(よく工事が完了したもので…) ちょうどいいタイミングで行ったものです。
    ようやく雪も降ったのですね。