1996年、僕は、大学を卒業してある出版社に就職した。配属されたのは旅行ガイドの編集部。希望通りの部署だった。その出版社は、社会的にもそれなりに知名度があり、自由な雰囲気のある会社だ。でも僕は、入社してしばらくした頃から、何となく違和感を抱いていた。不満ではなく、違和感だ。
その違和感とは、何か。
こんなことがあった。入社1年目の秋。ある地方都市の、地ビール工場兼レストランの完成披露パーティに出席したときのことだ。
地元選出の与党代議士の祝辞を、僕はホールの一番後ろで聞いていた。そこへ観光協会の人が来て、耳打ちした。
「くりはらさん、××先生の後に、ひと言壇上でごあいさつを頂きたいのですが」
びっくりした。僕に、与党代議士に続いて祝辞を述べろというのだ。駆け出しの自分に、そんなことできるわけがない。しかし、東京の出版社からわざわざ記者が来たというのは、とても意味のあることなのだという。
ついこの前まで大学生だった自分が、出版社の編集者というだけで、何の経験がなくてもこれだけの扱いを受けてしまう。それが、当時僕が感じた違和感だった。
ふだんの仕事でも、似たようなことがあった。部署や企画にもよるが、出版社の社員は、自分で取材をしたり原稿を書くことは少ない。出版社の社員が漫画を描かないのと同じで、取材・執筆は外部のライターや編集会社に依頼することがほとんどだ。
もう何年もキャリアを積んだ、歳(とし)もはるかに上の人たちが、「よろしくお願いします」と僕に頭を下げる。僕の方は、取材なんて一度もしたことがないのに、編集プロダクションの人たちに「指示」を出さなくてはならない。
出版社は、新卒で入るものではないのかもしれない。出版社の編集者は、もっと社会でいろいろな経験を積んだ人がなるべきではないだろうか。
さて、じゃあその「経験」って、何だろう。
入社して1年が過ぎる頃、僕はそんなことを考えるようになっていた。
つづく。
コメント
わたしは建築の設計の仕事をしているのですが、
就職してまだ右も左も分からないぺーぺーの時に感じた強い違和感。
そんな私に対しても、
施工者やメーカーの方々はわたしを「○○先生!」と呼ぶからです。
(いまだ、「先生」は使用禁止にさせてもらっています:苦笑)
やっぱり、そういうのありますよね。
僕も、韓国の観光協会の人と会うと、「センセイ」とか言われたりしますよ(^^)。