男たちの大和/YAMATO

c0005  ちょっと電話チェックをしただけで、ぽっかり空いた午後。
 「男たちの大和/YAMATO」を見てきた。

 感想。僕にとってはダメ映画。これでは、乗組員たちがかわいそう。

 以下、かなりネタバレあり。

 新宿歌舞伎町の映画館に行ったが、平日の夕方ということで入りは2割程度。年配の人と垢抜けない感じの男性客が多いのは予想通りだった。

 この映画は、大和に乗り込んださまざまな人物にスポットをあて、それぞれが背負った宿命と悲劇を描く、という展開だったらしい。らしい、というのは、2時間半の映画に多くの人物を詰め込みすぎて、誰が誰だかよくわからなかったのだ。

 そもそも、主人公は神尾なのか、それとも内田か。

 物語は、回想という形を取っているが、実質的には神尾が大和に配属された昭和19年春から始まる。だが、それから昭和20年春の天一号作戦発動までの展開は、あまりに忙しい。1時間ちょっとの間に、神尾、伊達、森脇、内田、西、常田、児島といった人物が次から次へと登場し、艦内での訓練、しごき、レイテ沖海戦までが描かれる。これでは、ひとつひとつのエピソードがおざなりになるのもしょうがない。その結果、いかにも類型的な、「さあ、感動してね」みたいなセリフばかりが目立ってしまった。細かく描いている時間がないからだ。エピソード自体も、兄弟を失いとか、機銃掃射で、とか、広島の軍需工場で、とか、「おめおめと~」とか、いかにもなものばかり。

 原作を読んだときは、あまりに個々の乗組員の描写に力を入れすぎ、大和という軍艦が背負った運命がいまひとつ伝わらないと思ったものだ。それを描いてこそ、「"男たちの"大和」になると。ところが、この映画は肝心の乗組員の宿命さえわからない。それぞれに「戦争映画のお約束」的なエピソードをちょっとずつ語らせ、最後は一方的な戦いで無惨に死なせてしまう。

 果たして、この映画は「大和」を舞台にする必要があったのだろうか。

 話題になった大和の甲板を再現した実物大のセットも、生きていなかった。規模はすごいが、見てくれがいかにもセットで、いつもピカピカ。レイテ沖海戦の時には、対空戦闘でひどくやられたのに、戦闘後の水葬シーンになると甲板には傷ひとつない。逆に沖縄特攻戦では、直撃弾を受ける前から壁が血に染まっていた。細かいところの作りが、雑なのだ。

 2時間ほどの時間で、辺見じゅんの原作をすべて描くことなど無理だ。

 内田なら内田、神尾なら神尾にはっきり焦点を当てて、その視点から軍艦「大和」、そして戦友たちの死にざまをしっかり描いてほしかった。

 あんな、ダイジェストみたいな描かれ方をして、大和の乗組員たちはきっと無念だろう。

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コメント

  1. 1/3333 より:

    大和を見た多くの日本人は涙を流す。
    大和だからこそ、多くの人が次々に死んでいき、有無を言わさない絶望感は戦争末期の大和特攻ならではの悲惨さを表している。
    陛下からあずかる軍艦は、いつも厳しく磨き上げを実施し、ピカピカなのは当然。
    主人公は誰なのか、それは内田の娘も含め、登場人物みんなだ。
    それぞれのドラマがあれだけの時間に凝縮された傑作映画を、簡単に駄作扱いすんじゃない!
    それこそ大和乗組員に対する冒涜に他ならない。
    3333人の乗組員すべての思い、彼らの周囲の人間すべての思いが「男たちの大和」なのだ!
    それも理解できないで「死にざまをしっかり描いてほしかった」とは言語道断!
    二度と「男たちの大和」を語るな!

  2. かんりにん より:

    こんにちは。
    原作と映画の両方を読んだ感想としては、やっぱり映画は時間が足りずもったいなかったな、と思います。
    ・極秘裏に建造され、あまりにも寂しかった進水式
    ・大和における兵士たちの生活
    ・トラックに待機し続け「大和ホテル」と呼ばれた日々
    ・レイテ沖海戦での、僚艦武蔵を失った衝撃
    そういったエピソードも、「男たちの大和」の中で欠かせないパーツだったと思うのです。
    内田と山本五十六の交流が描かれなかったので、内田の人物像が原作と全然違ったことと、レイテ沖海戦が内田が左目を失う重傷を負う部分しか描かれなかったのは、本当に残念でした。
    戦い抜いた大和の男たちを2時間で描くなら、天一号作戦だけに絞ったほうが、「多くの人が次々に死んでいき、有無を言わさない絶望感」を表現できたかもしれない。でも、それだと「戦艦大和ノ最期」になっちゃうか。

  3. 1/3333 より:

    そう、時間は短かった。
    しかし、映画という表現方法をとる時点で、原作そのままというのはありえず、時間内に収めるために省略せざるを得ない部分も当然ある。
    そういう中で、何を描くかによって省かれるものも決まってくる。
    悲惨さを描くなら、優先順位的に見れば「進水」「ホテル」は削られても仕方なく、「生活」「武蔵」も限られた時間に入れるには重要度、必要性は低い。
    もちろんもっと制約が無ければ、原作に合わせそういう部分も描くべきかも知れない。
    悲惨さと直結しない山本五十六との交流、あの短剣でも十分ではないだろうか?
    この映画の流れから言うと、レイテは「内田負傷の場」と意図的に表現しているので、それ以上描いてはむしろウザい。
    二時間を天一号作戦だけにしたら、ただ戦闘シーンだけの、ストーリー性皆無の映画になってしまう。
    エピソードを欲張り過ぎてはうすっぺらい表現しかできない。
    天一号への布石として必要最小限のエピソードに絞った製作陣のセンスが、あの形になったのだ。
    映画と原作本では表現方法が違うから、違う印象になるのは当然。

  4. かんりにん より:

    >>エピソードを欲張り過ぎてはうすっぺらい表現しかできない。
    これには同意なんですよね。
    僕の感想としては、多くの人物のエピソードを欲張りすぎて、印象が薄く、中途半端になってしまったと思うのです。
    1/3333さんの感想は違うということはよくわかりました。そういう感想を抱く方も、当然いらっしゃると思います。
    また遊びに来てください。