韓国・法輪寺の「帰郷祈願碑」

南日本新聞8月24日朝刊の一面トップは、連載「特攻この地より」、第5部「半島の神鷲」。第二次世界大戦中、「日本人」として戦争に参加して散っていった朝鮮半島出身者の話である。

記事の舞台は、韓国京畿道、龍仁市にある仏教寺院、法輪寺である。

「敷地の隅のハス池のほとりに、石碑は横たえられていた。「帰郷祈願碑」の文字を刻んだ表面だけ見せて、地中に埋めてある」
(南日本新聞2015年8月24日朝刊 「特攻この地より」から引用)

この石碑は、2万人とも言われる朝鮮半島出身の戦没者たちの魂が、故郷に帰れるようにと祈願する追悼碑だ。元々は、陸軍知覧飛行場から特攻隊員として出撃し戦死した光山文博(本名・卓庚鉉タク・キョンヒョン)少尉の話を知った女優の黒田福美さんが、「卓庚鉉さんの魂を故郷に帰したい」と建立に尽力したものだ。遺族の賛同を得て、2008年に卓さんの故郷に近い慶尚南道泗川市に追悼碑が建立が実現。地元泗川市が土地を提供し、除幕式には知覧飛行場があった南九州市の市長も駆けつけたという。

ところが、式は直前になって中止となった。独立運動家たちの子孫で作る「光復会」が強硬に反対し、追悼碑の撤去を求めたのである。「日帝に協力した者の追悼碑は許せない」という理由だった。いったん完成した碑は撤去され、泗川市の寺院に保管された。

そこへ、協力を申し出たのが、法輪寺の住職だった。「亡くなった人に罪はない。仏教の教えに沿えば、魂を救ってあげなくてはいけない」として、境内への移築を受け入れたのである。石碑は朝鮮半島出身の戦没者すべての冥福を祈る趣旨に書き換えられ、2009年10月、法輪寺で建立法要が行われた。

しかし、2012年に石碑の行方がドキュメンタリー番組で紹介されると、再び光復会の活動家が法輪寺に押しかけ、撤去を迫った。住職は双方の気持ちに配慮し、戦争と戦没者について記述された裏面が見えないよう石碑を仰向けにして土に埋めた。

なんともやるせない話ではある。それでも、追悼碑が韓国の地に根を下ろし、今も朝鮮半島出身戦没者たちの魂を慰めていることは覚えておきたい。韓国の仏教寺院だけあって、かなり山奥にある寺院だが、次に韓国に行った時にはぜひ訪れてみよう。

追悼碑の建立と維持に奔走し、記事について知らせてくださった黒田福美さんに感謝します。