レイルウェイ・ライター種村直樹さん逝去

CRW_6331_s

2004年韓国京義線にて

僕の鉄道ライターとしての師匠である、レイルウェイ・ライター種村直樹さんが、11月6日20時43分、転移性肺がんのため逝去された。

元毎日新聞記者の種村さんは、1973年、国鉄担当から国会担当への異動をきっかけにフリーに転進し、鉄道専門のライター、「レイルウェイ・ライター」を名乗った。当初は「周遊券の旅」や「鉄道旅行術」など、ガイドブック・ハウツーものの著作が多く、そうした著作には必ず「質問があれば直接筆者へ」と、自宅住所が記してあった。これがきっかけとなり、全国の鉄道ファンから質問の手紙やファンレターが連日数多く届き、1974年、種村さんの友人が音頭を取る形で「種村直樹レイルウェイ・ライター友の会(通称TTTT)」が結成された。

CRW_7392_s

2004年韓国高速鉄道KTXにて

僕が種村さんを知ったのは、1983年4月3日。小学6年生になる春休みに初めて南紀地方を一人でまわった時のことだ。近鉄特急で隣の席になった中学生から「ものすごく面白い、役に立つ本がある」と、「鉄道旅行術(改訂9版)」を見せてもらったのだ。ぱらぱらとめくっただけで、乗りつぶし派の鉄道ファンとして知りたいことがギッシリ詰まっていることが伝わった。

「それ、もう古い本で、今は新しい改訂版が出ているんだ。よかったら、300円で譲ってあげるよ」

体よく古本を売りつけられた形だったが、それでも僕は大喜びで買い取り、帰りの新幹線でも貪るよう読みふけった。自宅に戻って書棚を見てみると、その1年ほど前に買ってもらい、すでにボロボロになっていたブルーガイド「周遊券の旅」に「種村直樹」の名前があった。

初めて種村さんに質問の手紙を送ったのは、その1カ月ほど後のことだったと思う。知りたいことがあったから手紙を送ったのではなく、手紙を送るために質問を考え出したのだ。国鉄バス草軽線の途中下車についてだった。「小学生なのに国鉄バスの途中下車制度に目をつけるとはすごい」と思ってもらえるんじゃないかとワクワクしながら返事を待った。1カ月ほどして届いた返信は、噂通りの悪筆で読むのにとても苦労した。それすらも、「本に書いてあった通り」と嬉しかった。

翌年、「レイルウェイ・ライター友の会」に入会し、さらに1年後、中学2年生の時に四国で行われたイベントで初めて種村さんに直接会った。このイベントでお会いした人々は、多くの人が今もお付き合いが続いている。

その後、何度かイベントに顔を出すうちに気に入られたのか、高校1年生の時からアルバイトとして資料整理や校正作業をやらせてもらうようになった。電話チェック、校正など、今も日常的に行っている出版業務の基礎は、ほとんどこの時に学んだと言ってよい。

IMG_0002 のコピー

1991年「青春18きっぷの旅」にて。手前の人物はこの頃からすでに強力な雨男だった

その頃、種村さんの周囲に現れる読者は、偶然僕と同い年の人が多かった。その数、実に15人。あまりに人数が多く、また個性的な連中が集まったので、高校2年生の頃から「高二パワー」と呼ばれるようになった。それからもう26年になるが、不慮の事故で早世した一人を含み、全員が今も親友と言える間柄だ。今はシャレで「みちのく会」なるじじ臭い名前をつけ、年に1回程度、温泉一泊会を中心とした旅を楽しんでいる。

「鉄道旅行術」をはじめとするハウツーものや、「気まぐれ列車」シリーズを中心とした紀行エッセイで人気を集めた種村さんだったが、2000年にくも膜下出血を発症し、一度は危篤状態に陥った。奇跡的に大きな後遺症を残すことなく回復したが、その後は文章のキレや洞察力が徐々に衰えていった。

種村さんと最後に汽車旅を楽しんだのは、2009年の「みちのく会」小谷温泉(長野県)。今はいすみ鉄道で活躍しているキハ52に乗車した。

2009年10月25日、糸魚川駅にて

2009年10月25日、糸魚川駅にて

再び病に倒れたのは、この約1年後。2010年の年末に脳出血で倒れ、今度は身体に麻痺が残った。それから約4年の闘病生活となったが、奥さんやご家族が献身的に支えていた。

僕は1996年に実業之日本社に入社したが、編集者という職種が合わず、5年半で独立した。それからしばらくは、韓国に留学したりして独自の道を探っていたが、2007年頃から鉄道の仕事が増えていった。今は収入の8割が鉄道・旅行関連。種村さんとのお付き合いがきっかけで知り合った多くの方々に助けられて活動している。

フリーランスで生きていくには、独自の世界を作らなくてはいけないと思う。だから、僕が種村さんの後を直接「継ぐ」ことはないだろう。だが、30年間お世話になった数々の恩と教えを自分なりにアレンジして、できるところまで頑張ってみよう。

先生、本当にお世話になりました。ゆっくりとお休みください。

コメント

  1. 上和田朋宏 より:

    初めまして。
    訃報を聞いて驚いております。
    私は昭和60年の四国鬼ごっこで初めて先生とお会いし、
    その後日本縦断鈍行列車の旅で阿久根→西大山間ご一緒
    させていただいただけで友の会の皆さんよりお会いした
    回数は随分少ないのですが、著作が大好きで楽しみにして
    いただけに非常に残念です。
    教え子の皆様方のご活躍を期待します。

    • 上和田さん
      すっかり遅くなりました。コメントありがとうございます。
      四国汽車旅おにごっこは、僕が初めて参加したイベントです。
      懐かしいですね。
      これからも語り継いでいきたいと思います。

      • 上和田朋宏 より:

        ご返信ありがとうございます。
        今となっては伊予鉄道道後温泉駅、一生忘れられない場所となりました。
        あなた方のように先生のあとを受けて立派に活躍されているのを
        頼もしく思います。出版・著作を楽しみにしております。
        今後ともご活躍を!

        • くりはらかげり より:

          ありがとうございます。僕は、土佐荘での出会いが今も思い出になっています。
          憧れの有名な先生に会えるということで、緊張しましたねー。

          立派とはとても言えませんが、頑張ります。
          これからもよろしくお願いいたします。

  2. 小笠原和繁 より:

    栗原さん、おはようございます。

    ツイッターでお世話になっている、青森の小笠原和繁です。

    栗原さんがブログをなさっていることをツイッターで知り、アクセスしたら、種村直樹さんの記事を書かれているのを見つけ、読みました。

    種村直樹さんの訃報は、ただただ驚きばかりです。

    わたしも、種村さんの本を読み、励まされたし、鉄道に興味をたくさん持つことができました。

    わたしもブログをやっていて、種村直樹さんのことを書いています。アメーバブログに書いているので、「小笠原和繁 ブログ 種村直樹」と検索して、ご覧になってください。

    栗原さんの、種村直樹さんの思い出話、もっともっと聞きたいです。

    これからも、お仕事がんばって、お身体、ご自愛ください。

  3. 小泉直人 より:

    栗原さん、初めまして。
    僕も種村先生の著書はかなり読み込んでまして、世が世なら(?)かげりさんとともに先生の著書に登場しててもおかしくなかった世代(73年生まれ)です。
    かげりさんの著書も読ませて頂きましたよw。
    正直お年なので、いつお亡くなりになるか・・・と気になって時々ブログをチェックしていたのですが、ここ1年くらいおろそかにしていたところ、1年弱前に亡くなられていたとは・・・ショックです。
    「高二パワー」懐かしいことばですね。種村門下生にはウルトラクイズ覇者の北川さん(氏の著作のイラストも担当されていました)もいたし、動物のあだ名をつけられた方がいたり、著作に登場する若者群像も魅力的でした。
    なかでもかげりさんとともに印象的だったのは「たぬき」と呼ばれた女性。八木さん(おそらくかげりさんともご親交があるのでしょう)と結婚されたとのことですが、魅力的な女性なんでしょうね。お会いしてみたかったぁ~。

  4. 是松篤志 より:

    栗原さん、はじめまして。
    よく種村さんの作品に登場していて、羨ましく思っていました。
    私は種村さんとは、「銀づくしシルバー乗り継ぎ旅」でご一緒させて頂きました。あの時は中学生で、しかも部活で足を痛めていたので、京都の銀閣寺周辺を回る時のみの参加となってしまいました。
    その時は、種村さんと少しだけ話すことができました。ずっと本でしか見たことのなかとた種村さん本人とお会いできたことはとても嬉しかったです。
    しかし、その後は種村さんの作品からも離れ、会員からも退会になってしまいました。
    それでも、最近になって再び鉄道に対する関心が高くなってきて、よく旅に出たり、種村さん作品を沢山読んだりするようになりました。やっぱり種村さんの作品は面白いですね。何回も読み返せます。
    できればもう一度お会いしたかった…残念です。