丸田祥三氏 「棄景写真剽窃被害」訴訟4

 原告側から小林氏に対する反対尋問が始まった。

 最初の質問は、小林氏が本格的に廃墟を撮り始めた時期だった。

「小林さんが本格的に廃墟を撮り始めたのは、90年代前半と考えてよろしいですか」
「違います。80年代からです」
「こちらで撮影時期をリストアップしたところ、『廃墟遊戯』の場合1989年が最も早い時期で、『廃墟漂流』に1987年撮影の写真がありましたが、いずれも数点に留まります。1992年以降、急激に数が増えているようですが」
「発表されていない写真もあります」
「こちらの証拠品には、『90年代前半から廃墟を意識し……』と書かれているようですが」
「全国をまわって廃墟を撮影するようになったのは、80年代半ばからです」

 原告側はここでこの質問を切り上げ、次の話に移った。

「『廃墟遊戯』の被写体は、どのように調査されたんですか」
「古い地図で、金山のマークがある場所を探しました」
「地図以外にはありませんか。雑誌などはご覧になったんですか」
「全く見なかったわけではないが、あまり見た覚えはありません」

 小林氏は、席に座り、低く小さな声でたんたんと答えていく。文章にすると、よどみなく答えているように見えるが、実際は、どの質問もかなり考えてからおそるおそるという感じに答えていた。これは、原告側の丸田氏も同様だ。主尋問と違って何を質問されるか事前にわからず、下手に答えて、言質を取られるのを恐れるからだろう。

 以降のやりとりを、傍聴席でとったメモを元に紹介する。重要なところなので多めに紹介するが、傍聴席からは証拠品が見えないため話が見えなかった質問などは割愛した。

- 『廃墟遊戯』を制作した90年代半ば頃、スタッフは全部で何人くらいいたか
小林氏:覚えていない。正確な数字は忘れた。

- では、当時何人くらいのスタッフを雇っていたのか
小林氏:10年以上前のことなので覚えていない。

- だいたいで構わない。では、撮影には何人くらい同行したか
小林氏:……1~2名だと思う。

- プリントやデータの調査を行ったのは
小林氏:……4~5人くらいだろう。

- スタッフから、廃墟についての情報を教えてもらうことはあったか
小林氏:あったと思う。

- 具体的には、どのような情報か。
小林氏:口頭で、○○県××町にあるらしい、といった話だ。

- 小林さんから、「じゃあそれをちょっと調べてくれ」とスタッフに頼むことはあったのか
小林氏:それはなかった。

- (被告側提出の証拠に)「ある写真から着想を得て」とあるが、こういうことはよくあるのか。
小林氏:それは軍艦島のことだろう。他は、思い出せないが、あったかもしれない。

- 出版社のホームページに掲載されている写真が、中田総一郎氏の写真に似ているという指摘があるが
小林氏:中田さんは友人だ。

- 中田さんの写真を参考にしたのか
小林氏:参考にはしていないと思う。神岡鉱山に(被写体となった)建物があることは知っていた。別のルートから、自分で撮影したものだ。

- 丸山変電所跡の写真について。95年の写真は、何度目の撮影だったのか。権利者の許可はとったのか
小林氏:初めてだった。許可はとった。

- 丸田祥三氏の名前を知ったのはいつ頃か
小林氏:覚えていない。写真集『棄景(1)』を見て初めて知った。1998年に『廃墟漂流』を出した前後だったと思う。

-どうして記憶しているのか
小林氏:裁判になる前に、盗作についての話があり、いつ見たかを思い出してみた。その結果、10年くらい前じゃないかと判断した。正確には覚えていないし、どこで見たかもわからない。

- どうして10年前と判断したのか
小林氏:それは……、そんなもんだろうということだ。

- 企画を出版社に持ち込んだこともあるというが、その過程で丸田氏が話題になったことはあるか
小林氏:ない。

- 写真に添えられている解説文について。スタッフが書いているという話だったが、調査・執筆は何人くらいのスタッフが行ったのか
小林氏:複数のスタッフが、大量の資料を見て作成した。何人だったかは覚えていない。

- (丸田氏の写真集から書き写したのではないかという件について)当時のスタッフには確認をとったか
小林氏:とった。その結果、丸田氏の写真集も、見た可能性はあるという答えだった。

- あなたは、出版当時スタッフが書いた解説文の内容を確認したか
小林氏:していない。解説の内容についてはノータッチである。

- 90年代半ば頃には、すでに差別表現や丸写しのリスクといったこと問題になっていが、内容を誰もチェックしていなかったのか
小林氏:チェックしていない。自分はスタッフを信じている。

- 今回当時のスタッフに確認をとったというが、全員に確認したのか。何人に確認したのか
小林氏:人数はわからない。自分は、写真集の出版に際して出版社の人間にも会っていない。

- 自分が雇った人間のだいたいの数もわからないのか。今回は何人に確認したのか
小林氏:わからない。今回は2名に確認した。

- 『廃墟遊戯』を出版した当時、小林氏の作品が丸田氏の作品に似ているという指摘はあったか
小林氏:記憶にない。

- 廃墟写真では、丸田氏という写真家がいるという指摘を受けたことは
小林氏:指摘を受けたことはない。記憶にない。

- 90年代はじめ、ロケには月何日くらい出かけていたか
小林氏:年間であれば40~50日くらいと記憶している。

- あなたは、取材した日付と場所を手帖に記録していたというが、その手帖をこの公判に出すことはできるか
小林氏:その必要はないと思う。

- 80年代中頃から撮影していたという廃墟の写真が、写真集などに使われていない理由は
小林氏:93年と94年のニコンサロンでの個展に出品した。その後の写真集に掲載しなかったのは、優れていないからだ。

 最後に、被告側の弁護士から補足質問が行われた。

- 丸山変電所の解説文について。こういったものはいつ作るのか
小林氏:出版が決定してから作る。資料は、その時に集める。

- 丸田氏の写真表現について
小林氏:廃墟を撮るという点では同じだ。しかし、失礼ながら丸田氏は鉄道遺構を撮る写真家と考えていた。丸田氏の写真を真似するメリットは全くない。写真とは個性を出す場であり、長年撮ってきた写真こそ我が人生だ。

 こうして、この日の尋問は16時18分に終了した。

 次回、最後に僕の率直な感想を述べます。