レトロ横濱号

image100116232.jpg人形町キハの助役らに誘われ、横浜ー小田原間で運行された、「レトロ横濱号」に乗車した。オハ47をはじめ、旧型客車を使ったイベント列車だ。東海道本線全通120周年を記念したものだという。

列車や沿線には、大勢のファンが集まっていた。

小田原までは1時間あまり。もう少し、ゆっくり旧型客車の旅を味わいたかったが、楽しい一時だった。

コメント

  1. とうちゃん より:

    こんにちは
     ちょっと教えていただきたいのですが、現存する旧型客車、乗降口のドアは手動のままでしょうか?それとも改造して自動化されていますか?
     当地の大学に進学した際、「たがいにーだめか」、「ついにーだめか」の亀田駅から新潟経由内野駅まで通学していました。7時23分発だったか、磐越西線のDD51牽引の客車列車が好きで少し早目の時間に出かけていたものです。

  2. かんりにん より:

    とうちゃんさん
    こんばんは。現存する旧型客車は、すべて観光・イベント用です。乗降口のドアは、もちろん手動のまま(自動化はやろうとしても不可能です)ですが、JRの場合は、各車両のデッキに職員が配置されています。

  3. とうちゃん より:

    回答ありがとうございます
     19まで東京育ちで、釣りに行った成田線とかで客車列車に乗ったことはありましたが、日常的にそんなのが走る場所に来たのは嬉しかったです。夏などドアを開けたまま走ることがある旧型客車の普通列車は新鮮で、なおさら大人になった気がしました。
     ずいぶん後に98年くらいだったか、長項線にあった無印(ピドゥルギ)号の列車にやはり高校生がたくさん。ドアを開けたままで運行しているのを見て、懐かしく感じたのです。木造で3軸のボギー台車だったかな?それにも驚いた覚えがあります。

  4. かんりにん より:

    とうちゃんさん、こんばんは。
    小学生の頃、初めて磐越東線に乗りに行ったときは、上野から旧型客車が走っていました。僕がよく覚えているくらいの頃まで、ドア開けっ放しの旧型客車は、普通に走っていました。
    韓国でも、ktxが開業した2004年4月改正までは、手動ドアの旧型トンイルが普通に走っていましたね。鋼製車でしたが。
    ピドゥルギまでさかのぼりますと、僕は1995年に乗った京元線しか知りません。3人がけのボックスシートは、あれが初めてでした。