大手町で打ち合わせ後、神田に移動。鎌倉橋を渡ったところで、初めて欄干の傷に気づいた。
ここは何度も通っていたが、いつも誰かと一緒で、気に留めたこともなかった。
これは、1944(昭和19)年11月の、米軍による空襲によってできた機銃掃射の跡である。
改装するわけでもなく、欄干は空襲を受けた当時のままの姿で残っている。僕は橋のたもとにある案内板によってこのことを知ったが、言われなければ、いつまでも気づかなかったかもしれない。
戦争の爪痕というのは、けっこう身近にあるものだ。
旅、鉄道、韓国のライター 栗原景