そういうわけで、大阪行き寝台急行「銀河」で東海道を下っている。
東海道本線を半世紀にわたって走り続けた急行「銀河」も、3月14日を以てその歴史に終止符を打つ。いや、理解のない経営者によって、無理矢理辞めさせられると言うべきか。
開放型A寝台1両、B寝台7両の8両編成。清く、正しい寝台列車だ。
銀河に乗るのは、昭和58年以来25年ぶり。いったい何歳の時乗ったんだという感じだが、あの時のことは今もよく覚えている。僕にとって、最初で最後の20系寝台車だった。ちっこかった子供の僕にも、寝台幅52cmはあり得ないほど狭かった。
それに比べたら、24系25型の2段70cm幅の寝台は、実に快適だ。大阪には何度も行っていたのに、ずっと乗っていなくて悪かった。罪滅ぼし、というわけではないが、こいつには廃止までにあと一回、乗ってやることになりそうだ。
誰かに会うんじゃないかな、と思っていたら、TKSYに遭遇。A寝台にご乗車とのこと。やはり、考えることは似ているなあ笑。
大阪には、明日の7時18分に到着の予定。
コメント
20系で雪の東京から帰った事を思い出しました。
出張の翌日も仕事。
ナハネフ22の展望窓が良かったですね。
写真を撮っている方々も、
乗っていたら、廃止にならなかったんだろうなぁ。
結局、この列車には乗らず仕舞いになりそうです。
なくなると知ってから人が集まるんですよね。
去り行くものに郷愁を感じるのは、仕方がないとは思いますが。
他の残された列車たちが過去帳に入らないよう、できるだけ乗ってあげられればと思っています。
銀河、というか東海道のブルトレについては、
もっと大勢人が乗っていても、おそらく今の東・東海の体質ではいずれ廃止だったように思います。
寝台車が7両8両、あるいは15両満員になったところで、東や東海の収入なんてたかが知れてますから。
それにしても、非鉄系、とくにおばさんが目立ったのが印象に残りました。そうかと思えば、車内で23時過ぎだというのに「大いなる旅路」を流している輩もいたりして。「日本縦断弁当東日本編」を味わいながら、複雑な気分になりました。
どうもどうも。
大阪駅では後まで行ったのですが、うまく見つけられませんでした。
A寝台も夜中なのに、足音高く写真を撮りに来る侵入者?がいて、いやはや感がありました。
ちなみに調べてみたら初めて乗ったのが平成2年、今回が6回目の乗車でした。
どもどもども。
やっぱり、そういう時は読者たるもの、
「僕(たち)はA寝台料金という対価を払って乗っているんですからね(だったっけ?)」と主張しないと。
お会いできなくて残念でした。
つい、最後尾に走っていってしまったので……。
あと1回、僕は乗車できそうです。
それ、言った人と言われた人の両方から年賀状貰ってるからなぁ(笑)。
仕事はやりくりつきそうなので、次回はお見送りに行きますよ。