済州島アルトゥル飛行場

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モスルポの畑に残る日本軍の掩体壕と、山房山、そして漢拏山

 まさか、わずか半年で再訪することになるとは思わなかった。

 済州島南西部に位置する摸瑟浦(モスルポ)の、海岸にほど近い大静洞の農村地帯。

 キャベツ畑の中に、亀の甲羅のような低いコンクリートドームが約20基、ぽつんぽつんと点在している。

 これは、約60年前に日本海軍が建設した掩体壕(えんたいごう)である。掩体壕とは、飛行場で、航空機を空爆から護るための格納庫の一種。ここには、帝国海軍のアルトゥル飛行場があったのだ。

 モスルポに旧軍の飛行場跡がある、という話を初めて聞いたのは、3年ほど前のことだった。2005年5月に訪れた時に探したものの発見に至らず、今年の3月にようやく探し当てた。その時の話は、アルクの「まろん紀行(苦笑)」に書いた。

 しかし、その時はレンタカー返却の時間が迫っており、掩体壕を数基と指揮台らしき構造物を遠くから眺めただけで引き返した。いずれ、また訪れることがあればゆっくり歩いてみようと思っていたのだが、ある仕事で思いの外早く再訪することになったのだ。

 アルトゥル飛行場(当時は摸瑟浦飛行場)は、日中戦争が始まる2年前の1935年に建設された飛行場だ。済州島の戦略拠点として海軍が使用し、日中戦争当時にはここから上海爆撃も行われたという。

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 前回訪れた時は、申し訳程度に舗装された農道を10分ほど歩いたが、今回は立派な舗装道路ができていた。済州特別自治道から文化財地域に指定され、地元では観光地化を目指しているらしい。山房山を背景にしたのどかな畑に、軍事施設跡が点在する独特の景色が失われるかもしれず、心配だ。

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 車を降り、農道からもっとも近いところにある掩体壕を訪れた。前回、3月に来た時も見たところだ。ここも、あぜ道が拡幅され、農道から容易に中に入ることができるようになっていた。

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 掩体壕の内部。ここに、戦闘機などの航空機が置かれていた。敷地を農地にした際、一度は重機で撤去を試みたが、極めて強度が高く断念したという。周囲はキャベツなどの畑が広がるが、基本的には国防部の所有地で、今も農家の人々は国から土地を借りて耕作しているとのことである。

 3月に訪れたときは、ここで時間切れとなったが、この日はさらに歩いて、滑走路の「跡」を見に行った。

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 20分ほどあぜ道を歩いて足が痛くなりはじめた頃、突然道ばたに姿を現したのが、この門。見れば、「空軍非常滑走路につき民間人と車両の出入り禁止」とある。 実は、ここは飛行場の「跡」ではなく、今も現役の軍用滑走路だったのだ。

 しかし、そうは言われても原野に門があるだけで、どれが滑走路なのかよくわからない。

 やっと目の前に姿を現した旧管制塔の構造物に上り、全景を眺めてみることにした。

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 これが、管制塔からの風景。奥の、黄色いベルト状の地域が滑走路だ。現代のアスファルト舗装された滑走路ではなく、単に原野を整地しただけで、第二次世界大戦当時の軍用滑走路の雰囲気をよく残している。手前の、人影が見えるコンクリート整地された一帯も、軍事施設の跡だろう。よくぞ残ってくれていたものだ。

 軍事遺跡としてだけでなく、ここモスルポ大静洞に広がる果てしない原野と畑の風景は、とても印象的だ。

 いつまでも、このままの姿で残っていてほしい。おそらくは、無理な相談だとは思うけど。