ゲゲゲの鬼太郎

 ふと我に返れば、すっかり夏。

 夏といえば、怪談。

 怪談といえば…… もちろん、『ゲゲゲの鬼太郎』だ。

 そういうわけで、毎週日曜の朝は、『ゲゲゲの鬼太郎』を見ている。

 この春から始まったアニメで、なんでも鬼太郎のアニメ化は5回目、『天才バカボン』の4回を超え、史上最多なんだそうだ。

 「どの鬼太郎を見て育ったか」を聞けば、その人のだいたいの年代がわかる。

 「昔の鬼太郎はモノクロで」と語り出す人は、間違いなく40代以上だし、「吉幾三が主題歌歌ってたよね」と言う人は、 30歳前後と思っていい。「64話からCG着色になって、絵柄が変わったよね」と論じる人は、10代……ではなくてアニヲタであろう。

 僕はというと、「野沢雅子が鬼太郎を演じていたカラーの鬼太郎」、つまり第2作で育った世代である。といっても、本放送を見ていたわけではなく、毎年夏休みになると決まってやっていた再放送を見て育ったクチだ。

『ゲゲゲの鬼太郎』第2作。このアニメは、とにかく怖かった。人間が不気味な妖怪に喰われてしまい、鬼太郎も助けてくれないなど、救われない話、人間が懲らしめられる話がたくさんあった。なにより、エンディングの「カランコロンの歌」が不気味だった。「からーんころーん」と異様に高い歌声が耳にこびりついて、トイレに1人で行けなくなったものだ。あの声が、サザエさん(加藤みどり)とはいまだに信じられない。

 さて、今放送している『ゲゲゲの鬼太郎』第5作は、どんなアニメかというと、信じられないことに「萌え系」だ。鬼太郎は美少年で、絶対にひょっとこ口(3←これ)をしないし、ねこ娘に至っては毎週コスプレを見せる美少女になってしまった。砂かけ婆が「妖怪アパートの管理人」で、子なき爺が「300年家賃を滞納している貧乏爺さん」、目玉おやじはノートパソコンでネットを見るなど、軟弱極まりない『鬼太郎』である。

鬼太郎

 それでも僕が毎週『鬼太郎』を見ているのは、やはりねこ娘が可愛いから水木しげるの漫画を日本が誇る民俗文化と思っているからだ。もし水木しげるがいなかったら、砂かけ婆もぬらりひょんも、これほど有名にはならなかっただろう。日本各地に残る民間伝承に過ぎず、忘れ去られる運命だったかもしれない。

 それだけに、アニメ『ゲゲゲの鬼太郎』は、妖怪長屋だ妖怪横丁だといった余計な設定など付けず、とことん妖怪道を究めて欲しいものだ。

 あ、ところで、目玉おやじについて、昔から疑問に思っていることがある。目玉おやじは、全身が腐る病気で死んだ親父の屍から目玉が落ちて、そこに魂が宿ったというのが通説だ。しかし、僕は、「墓場で生まれた鬼太郎が、岩に左目を打ち付けて目玉を落としてしまった。それに死んだ親父の魂が宿って目玉おやじになった」という漫画を見た記憶がある。あれは幻だったのだろうか? 何か知ってる人がいたら、教えてください。